Francia-France-



旅12日目  22/09/2000


夜行でニースに到着してからローカル線に乗り換えて、アヴィニョンへ向かった。
その電車は海沿いをずっと走ってくれたので、景色がものすごくきれいで私はずーーっと外を
眺めていた。その海岸はまさしくコートダジュールと呼ばれているところで、フランスのリゾート地
というかなんというか、観光スポットだけあって、あっぱれだった。途中、カンヌやマルセイユに
電車が止まったときは、「あぁ、ここがあの・・!」と感動したけど、マルセイユで電車がずーっと
止まってて、そのせいでアヴィニョン到着が遅れた・・。。



↑バビロン補囚で有名な法王庁。私達下の方に写ってるんだけど見えないね(汗)


駅に着いたら、それぞれの旅を終えた他の4人が先に着いていて、迎えに来てくれた。
何やら町はお祭りムードで、パレードのリハとかやってた。ホテルに着いて、ちょっと休んだら
早速町を観光しがてら、ぶらぶらした(写真上は法王庁)。
そしたら突然フランス人の男のこが「すいません、日本人ですか?」って聞いてきて、
私達は唖然。「え・・そうですけど?」って答えると、
「私、日本語勉強しに日本行きました。」

日本語を話すヨーロッパ人に初めて出会って感動していたら、
「ちょっと教えて下さい。」と言われた。彼が見せてきた1枚の紙。それはなにやらCDの歌詞だった。
「ここの読み方わからない。ローマ字で書いてください。」ということで、「なになに?」って
見てみたら、なんと山嵐というバンドのCDだった。意外も意外だったので、かなりびっくりしたけど
教えてあげたらとても喜んでいたので良かった(^-^)ありがとうと会釈をされた。彼は日本の心を知っていた。


旅13日目  23/09/2000


この日はもう昼からパリへ向けて出発する予定だったので、それまでの間、私はあつこ姫と
香水やら服やらまたも買い物に走った。あっきー王子と中井門番と私はパリへ、、他の4人は
スペインのバルセロナへ向かい、それぞれ出発した。あ、バルセロナ班はアヴィニョンにもう1泊したん
だっけ。ちょっと遅れはしたものの、無事に私達はパリに到着した。

ホテルが結構近いのかなーと思って、ずんずん歩いてたら、めーーーっちゃ遠くって、
ホテルに到着する頃にはかなり疲れ果てていた・・。一休みしてから、エッフェル塔と凱旋門を見に行って
シャンゼリゼ通りを歩いた。もちろん「おーしゃんぜりーぜー♪」と口ずさみつつ・・。
この日ははほんっとに疲れていたので、早めに帰ってさっさと寝た。しかし洗濯していたら
時間かかって結局遅くなった。TVでオリンピックをちょっと見て寝た。


旅14日目  24/09/2000


ホテルの近くで日曜に蚤の市が開かれる、ということで、モントレイユの蚤の市とやらに
行った。衣類からガラクタまでいろんなもんが売ってておもしろかった。
やっぱりピカチュウは大人気で、どこいってもグッズが売っていた。
ところで、ヨーロッパは今かなりアジアブーム(というか、日本とか漢字ブーム)で、わけのわからん
プリントの服が結構あった。「合気道」と書きたかったらしいシャツは「合道気」となっていたし
他にも「必勝」とか「電撃婚」とか「東京製」とか「平成一年」とか・・・。おもしろかった!!

昼から、ルーブル美術館へ行ったんだけど、これが広すぎてとてもじゃないけど
全ては見きれなかった。しかもわたしは「ハンムラビ法典」が見たかったのにメソポタミア部門
閉まってて、入れなかった・・。あーぁ。なのでモナリザとかミロのビーナスとか有名な作品を見て
うろうろしてたら時間がきてしまって、なんだか見た気がしなかった。2〜3時間ではとてもムリ!
それからノートルダム寺院(写真下)に行ったら、ミサ中であんまり奥まで入れなくて残念。
後日、再び訪れることにした。なので、カルチエラタン付近で夕食食べて帰った。




↑ノートルダム寺院。伝わるかしら、この大きさ・・。


旅15日目  25/09/2000


朝早起きして、モンマルトルの丘に行った。
そこにあるサクレクール寺院(写真下)に上ったら、ひざが笑っていた。
1870年の普仏戦争の敗北や、翌年のパリ・コミューンで疲弊しきった国民の心を癒すために
建てられた、「聖なる心」という名のこの教会は、全て寄付で成り立っているらしかった。
なので、私達も少しではあったけれど、ちゃんと寄付してきた。

この丘は19世紀の芸術家達、ユトリロやピカソが愛した土地で、その影響か、テルトル広場には無名の
絵描きが多くいた。私の大好きなダリの博物館もあったので、当然のことながら
見学してきたけど、やっぱり本場スペインの美術館(cf:travel Spain)のほうが規模もデカくて
おもしろかったように思った。でもそれなりに楽しかったし、展示品が全て売り物であることに驚いた。

それから近くの墓地に行った。海外の墓地をあんなに間近にじっくりと見たのは初めてだった。
不謹慎かもしれないけど、綺麗でかっこよかった。十字架に魅かれた。



↑サクレクール寺院。ほんとに上るだけで体力消耗・・。おばび。


昼からシャンゼリゼ通りに出て、オペラの予約をしようと、チケット売り場に行ったら、
その横におもちゃ売り場(?)があった。おもちゃというか、スターウォーズとかのフィギアとかが
置いてあるようなとこ。そこに、「るろうに剣心」のフィギア(?)があった!でも、やひことかは
いたのに、肝心の剣心がいなかった。売れてしまったのかなぁ。そんな横であっきー王子が頑張って
フランス語でチケット予約をすべく戦っていた。しかし、オペラの予約は普通、公演の2週間前には
少なくともしておくもの。わかっていながら行ってみたものの、やっぱりどこも満席でダメだった。
やけになった我らはまたまた買い物に走った。

ちょっと落ち着いた頃、我にかえって観光を続けた。次に行ったのはコンシェルジュリー。
ここは大革命のときに牢獄となり、人々を恐れさせた場所。ここを出るときは処刑されるときという
絶望的な場所で1年半の間に約2600人もの人がここから処刑所に送られた。

そこにはマリーアントワネットが人生最後の2ヶ月間を過ごした独房が再現されていた。そのとなりの
独房では王妃をギロチンに送った男ロベスピエールもまた、処刑前夜を過ごしていたという。
華やかな街の中に、暗い歴史が存在する。パリは魅力的な街だと思った。


↓マリーの独房を再現したもの。蝋人形です。





そのあと、昨日見れなかったノートルダムへ再び足を運んだ。あんなに大きくて
美しいステンドグラスを見たのは初めてだった。感動さめやらぬまま、私達は夕食タイムに突入。
またも中華を食してしまった。・・・。だっておいしいんだもの。


旅16日目  26/09/2000


この日は朝から気分が悪かった。今考えたら、きっと疲れがピークだったんだと思う。
しかし、我らに時間はない!薬飲んで、パリから少し離れたヴェルサイユへ行った。
もう、でかいってなもんじゃなかった。駅から歩いて「あ、門が見えた!」と思ってからそこに
辿りつくまでが長い長い。宮殿内は溜息がでるほどの美しさ。
豪華絢爛この上なし。ルイ14世、よくやった!

「史上、最も大きく最も豪華な宮殿を建てよ」の一声で、森が作られ、川の
流れまでが変えられた。けど、やっぱり豪華すぎる!!
そりゃぁ市民の反感を買うわなーと思ったもん。
貴族のことばっかり考えてたんじゃぁ、市民も怒ります。で、革命が起こったのね。
しっかしあの王妃の寝室で1回でいいから眠ってみたい!でも落ち着かないかも・・。

ヴェルサイユの庭もかなり大きくて(車が走り回れるほど。)散歩しながらゆっくりとした時を過ごした。
宮殿から離れたところに、田舎家が集まった集落があった。私は宮殿よりもこっちのほうが好きだった。
池も畑もあって、なによりも家自体がすごいかわいかった♪同じヴェルサイユの敷地内にあるとは
思えなかった。カエルがゲロゲロ鳴いていた。


左下はマリーが愛人と逢引きしていたところ。右下は田舎家を見つめるあっきー王子。

   


夜はシャンソニエ(シャンソンの生演奏が聴けるところ)に行く予定だった。しかーし。
私はここでどうにもこうにもダウンしてしまった。立って歩いてるだけで気持ち悪くて吐き気がする。
なんか体が熱くて少々熱もあるみたいだった。旅が始まってからずーーっと朝から晩まで歩きっぱなしで
移動も多く、慣れないホテル生活の疲れが一気にどどどっとでてしまった。こんなときはいつも
薬飲んで一晩寝すぎくらいに寝たら治るということはわかっていたので、シャンソニエは我慢して
ホテルで一人、うずくまっていた。バスタブにお湯をはって、久しぶりにゆっくりお風呂にはいった。
そして死んだように眠り続けた。あっきー王子と中井門番はおしゃれして出かけて行った。いーなぁ。


旅17日目  27/09/2000


1日休養したら気分すっきり、元気になってホッとした(^-^)
バルセロナに行っていた4人がこの日の朝、パリに到着した。彼らにとってはパリ観光は
1日しかできないということで、かなりスピード観光になった。先にパリにいた私達3人はそれぞれ別々に
行きたいところに行くことにした。この頃にはもう一人でパリ市内を歩けるようになっていた。

なので、メトロを乗りこなし、ひとりでオルセー美術館に行ってきた。ルーブルほど人が多くなかったし
あそこまで広くなかったので、時間をかけてじっくり見て回れた。ここは主に19世紀の印象派、
ドガ、マネ、ルノワール、セザンヌ、モネ、ゴッホなどの主要作品が展示されていた。他にも
ミレーなどバルビゾン派の作品もあった。しかし、「落穂拾い」がなかった。ブー。なんでだ。




↑ゴッホの自画像。美術選択だった私としては教科書上のものだったので感動した。



それからシャンゼリゼ通りでカフェって、頼まれていたヴィトンなど買い物へ。
ヴィトン店内は日本人だらけでキモかった。しかも本店にさえモノグラムはストックがなかった。
2店目に行ってみるとそこには日本人スタッフの人がいた。なのでそこでいろいろと聞いてみたら
モノグラムがパリ市内のヴィトンには、もうほとんどないとのことだった。恐るべし、ジャパニーズ。

しょうがないのでまたも自分の買い物をすべく、シャンゼリゼをうろついた。私の大好きブランド、
「ZARA」でスカート、Gジャンを購入、「MORGAN」でライブで着る服をGETしてご機嫌に歩いてると
凱旋門に辿りついた。(凱旋門のところからシャンゼリゼ通りが始まってるのでね。)その真下に行って
ぼえ〜っと上を見上げていたら、フランス人の男の子2人がなにやら話しかけてきた。
「写真を撮ってください」と英語で言ってきたので、「OK」と言ったら、その向こうに20人くらいパリっ子が
いて、こっちにみんな寄って来た。私はシャッターを押すものだとばかり思っていたので
カメラを受け取ろうとしたら、「NO,NO, with you!!」と言われてポカンとした。
私は彼らに囲まれて真ん中に立って一緒に写真を撮ってもらった(^-^)みんな
「I love Japan!!」と叫んでいた。ほんまかいな(笑)

みんなと合流したあと、パリ最後の晩餐をした。なぜか、子供の頃の話しとか
昔話で盛り上がった。盛り上がりすぎて、帰るとき、さこっち料理長は自分の荷物を店に忘れてきて
大慌てで途中でとりに帰っていた。ホテルに着いたら明日の出発に向けて荷物のパッキングをした。



旅18日目  28/09/2000


いよいよ旅も終わり、私達は空港に向かった。パリからバンコクの飛行機はみんなみごとに
席がバラバラだった。うちなみ女王だけが唯一私の前の席だった。隣の席のおじいちゃんは香港の人
ですごくいい人だった。色々気を遣ってくれて、食事のときなんかも「ワインいる?」とか
「コーヒー来たよ」とか親切だった。私が香港に行ったことがないと言うと、とても悲しそうだった。
ぜひ来て下さいと言っていた。「あーもうちょっと英語勉強しとけばよかったなぁ」とこの時ばかりは思った。



旅19日目  29/09/2000


バンコクで乗り換えすんのに、空港でちょっと待たなければならなかった。
このときがみんな疲れ果てていて、座って眠りについてしまった。私は飛行機でずっと寝てたので
そこまで眠くなかったし、リンゴとメロンを買って一人で食べてた。

バンコクを出発してから、今度はマニラに到着した。1時間くらい空港内をうろうろした。
結局、関空に着いたのは21:00頃だった。そこから荷物だのなんだのごちゃごちゃして、
関空を21:50くらいに出て、家についたのは23:30くらいだった。

たぶんこの先、こんなに大人数で、しかも高校のあの仲間で、これだけの時間を
かけてする旅行なんて出来ないと思う。初めは一人でキューバだのペルーだの、南米に行きたい!
とか、タイ、ラオス、カンボジアがいい!とか思ってたけど、今はあのメンバーで旅することができて
良かったなぁって思います。毎日けなし合いながら、それでも仲良く旅できたことは
きっと一生私の心の中に残ってくと思う。なかなか経験できないいい時間を過ごせたと思っています。

世界の歴史を体で感じて、いろんな人に出会って、また自分の中で新しい世界が広がったような
気がします。そして、私は日本人であることを自覚し、それを誇りに思いたい。
日本にも世界に負けないくらいの文化や伝統は存在する。それを伝えられるように日本をもっと
知らなくちゃいけない。紅葉がきれいな季節になったら、京都に行こう。
寺巡りをして、抹茶セットを食べよう(笑)


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